地震

後のために日付け詐称で遡って日記の書き込みです(苦笑)

11日の午後。いつもどおりお仕事中でした。職場でのんびりしていたところ、突然の揺れ。数日前に震度4の地震があったばかりなので今回も揺れ始めはそれくらいなのかなぁ〜と思っていたら、ゆっくりと大きく揺れが続き徐々に激しくなっていった。職場は5階にあるため外に避難しようか迷うところだったが、みんなその場にとどまりました。途中蛍光灯やパソコンの電気がいきなり切れた。停電になり非常灯が灯る。なんとか揺れがおさまってから外を見ると避難している人もちらほら。そうしているうちに余震が…余り間隔をあけないタイミングで何度と無く襲ってきました。上階にあるため揺れ幅の感じ方は下の階よりも大きいのだと思うけど、それでも今まで体験したことの無かった揺れでした。とりあえずいつでも避難できるよう外靴に履き替えた。上司が緊急会議に呼ばれたのでそれの帰りを待ってから行動するとのこと。停電のため暖房も切れてしまい徐々に寒さが忍び寄る。コートを羽織り、貴重品を身につけ次の行動に備える。その間にも余震は続く。数人の携帯でテレビを見ながら今回の地震の規模を知る。秋田県沿岸南部は震度5強とのこと。昔小学生の時に体験した日本海中部地震を思い出した。待っている間次々に情報は流れる。県内は発電所がやられたらしく全域で停電。復旧の見込みは不明とのこと。太平洋側で津波が発生したらしい。次々ニュースが流れる。
それぞれ家族等に安否確認の電話&メールするもすぐには繋がらない。がそれなりに返事等は届いていた。固定電話は停電のためディスプレイ物はアウト。自分も両親姉妹の携帯にメール。父から「今スキーの帰り道」との回答に家族全員バラバラの所で震災したと知る。次に姉から届いた返事で東京も同じ震度の大きな地震だったことを知る。仙台の妹からはまだ返事無し。
上司が戻ってきてとりあえず非常勤&臨時の方々に明るいうちに帰宅できるよう帰っていいとの指示。ただ停電のため信号機も消えているので帰宅するのにも大変らしいので要注意。私達は勤務時間が終わるまで待機。ちょっとしてから遠方通勤の人達は帰るまでどれくらいの時間がかかるのか分からないので早めに帰宅してよいとの指示。県内高速道路全面通行止めなため果たして何時間かかるのやら…
その後定時になりそれぞれ家族を心配しつつ帰宅。私は1人で停電の中アパートにいるのも嫌だったので、職場に誰かが残っている限り自分も残ろうとそのままいました。そうしているうちに非常灯の灯りが消え夕暮れも過ぎ段々と室内も薄暗くなっていく。18時過ぎた頃に暗くなったので、上司は会議のため他場所で待機、それ以外の人は帰宅することに。
帰宅するのも途中の信号は付いているのと消えているのがあり、大きな通りを横断しなければいけないため少し遠回りでも信号が動いている経路で帰宅。暗い中携帯の灯りを頼りにカギを開け部屋に入る。すぐに懐中電灯を取り出し灯りを確保。水道とガスが使えることを確認し少しは安心した。食事については何とかなりそうだ。停電のため冷蔵庫が気になるが冬なのですぐにダメになることはないだろう。暗闇の中お湯を沸かしカップラーメンと魚肉ソーセージを食べる。少しでも灯り確保のためカーテンは開けっ放しにした。懐中電灯の明かりを頼りに食べる御飯は悲しいですね。
お湯が出ないのでお風呂にも入ることができず、ともかく化粧は落とさなきゃいけないので再びお湯を沸かしそれで顔を洗う。
その後やることもないし寒いしで布団に潜り込み寝ることに。いつ何があっても困らないように普段着のままコンタクトもつけたままです。それにしても19時半に布団に入ることなんて無いよなぁ(苦笑)まぁ余震があって寝付くことはできませんが。再び姉からメールで電車が止まっていて職場の施設に泊まるとのこと。甥っ子は旦那がチャリ購入して何とか帰宅し迎えに行くそうな。ヘタレな甥っ子が泣いていないか心配でした。21時半くらいに妹からやっと連絡がきた。やはり停電なので職場が自家発電している環境なので職場に泊まるとのこと。携帯も充電器を一度取りに戻りバッチリと言うが、こっちは充電できないので最低限の会話で電話終了。携帯の充電残りわずかなため電源をオフ。とりあえずみんなと連絡取れたので一安心。明日になれば停電が復旧していることを祈りつつ就寝です。